【関西百名山】大峰山奥駈(奈良)

1966年5月1日〜 5月4日
同行者 M.A

5月1日(日)

阿倍野 10.00−11.30 下市口 12.30−14.30 洞川−17.30 山上宿坊

5月2日(月)

起床 5.30 出発 7.30 −12.15 行者還 13.40−17.15 弥山小屋

5月3日(火)

起床 4.00 出発 6.30 − 9.10 楊子宿−14.15 太古辻−15.45 前鬼

5月4日(水)

起床 5.30 出発 7.15 − 9.45 前鬼口10.25 −14.20 大和上市


5 月 1日(日)晴後曇 map
荷物代をなんとかごまかして洞川行きのバスに乗る。川合で約半数が下りて、洞川まで行く者は意外と少ない。洞川からの谷沿いの道はうぐいすが鳴いて、平坦なのどかな道だ。一ノ世茶屋あたりから急な上りになり、木も少なく、ハゲ山の感じで暑い。
一本松茶屋跡の日陰に入ってホッとする。ここから洞辻茶屋までは地図で見るとすぐだが、歩いてみるとなかなか遠い。やっとの思いで主稜にたどりつくと急にものすごいガス。とたんに寒くなってくる。
洞辻茶屋に入り、寒くてたまらないので熱いコーヒーをわかして飲む。小さなパンをかじって元気を出し、山上ヶ岳へ足を運ぶ。
ここから道は平坦で自転車でも通れそうになり、数ヶ所針金とか鉄バシゴの登りもあって楽しい。一面のガスになったので、急ぎ足で歩いてもほとんど汗が出ずとても楽だ。途中、行場を覗いてみてもただミルク色の海でながめも何もない。残念。
疲れをぜんぜん感じないうちに山上の宿坊に着く。明日から山開きで、明日はこの宿坊だけで 500人予約で、予約外は泊まれないというが今日はわずか。6畳2続きに4人というぜいたくさ。
雨模様。同室になった2人連れは、やはり奥駈のつもりで来たが、これでは天気がよくなる可能性もないので明日すぐ下山するという。火鉢にあたっていても寒く、することもないのであまり疲れていないが8時に寝る。
 
5 月 2日(月)雨 map map
予想通り雨。ポンチョをかぶって出発するというのはユウツなもんだ。視界 2〜30m。風も強く、ちょっとした嵐。奥駈道と書いた道標が雨にぬれて今にも倒れそうにつっ立っている。
前方はガスで見えないし、前も後ろも人の気配がなく心細い。それでも行くうちにまだ新しい足跡が点々と残っており、この天気でやはり弥山に向かった者がいるんだと思って気を強くする。
雨のおかげでノドだけはあまりかわかずにすむがポンチョをかぶっているので暑苦しい。風が強いので裏も表もびしょぬれ。中からは汗でグッショリ。ズボンはドロンコ。見られたさまではない。
休む最中にも雨は降り続けるし、暑くてポンチョを脱ぐとすぐ寒くなってガタガタする。これの繰り返しでカゼをひくのには絶好のコンディション。
シャクナゲの花もまだ全然見当たらず、好天ならば絶好の眺めと思われる尾根筋も雨とものすごい風、それにガスでただ下を向いて黙々と歩くのみ。
疲れ切って行者還の宿に着く。ここは四方に登山路が通じているだけにものすごく混み合っている。山上ヶ岳も遠くなったので女性の姿も多い。
あまりの疲れでしばらくはメシを食う元気もない。けむたいのを我慢してじっと焚き火にあたったまま動く元気なし。一人旅なら完全にここで沈没してしまうところだが、A君がまだ少し元気なようでメシを食ってからなんとか出発。
ここからまだ4時間の行程だが、広い尾根で傾斜もゆるく、何よりも風が弱まって歩きやすい。晴天なら気持ちのよいコースだろう。これだけぬれるともうこれ以上ぬれる心配もなし、急ぐのをやめてユックリユックリ歩く。
やがて聖宝八丁の急登。雨水が川のように流れている中を一歩一歩ただ足をすべらぬようにと歩くと、意外に早く弥山小屋に着く。行者還からは1回の休憩もせず、そのわりに疲れがない。満員の小屋に入ると、まずズボンと上着をしぼって焚き火で濡れたものをかわかす。
夜は毛布1枚。板の間で、寒く寝られず。10時まで管理人の焚き火にあたってズボンや靴下をかわかし、一晩寒くまんじりともせず。
 
5 月 3日(火)曇 map map
まだ外は真っ暗なうちに、隣の部屋で管理人が起きて火を燃やしだしたのに気がつくと、すぐあたりに行く。夕べはほとんど寝ず。こんなことがわかっているなら、寝袋くらいかついで来るんだったが。
朝のうち雨が降ったり止んだりだが、次第に雨は弱くなりそうな気配。外を見るとガスだけは昨日と同じ。風は少し弱まっているようだ。管理人の話しによると明日は快晴だろうとのこと。
一昨日弥山に上がって、昨日の雨で小屋から一歩も出られず、一日棒に振って今日下山する連中が多い。
関西最高の八経ゲ岳頂上も四方がミルク色で眺望ゼロ。ここを下ると針葉樹林、広葉樹林を過ぎ、なだらかな広い稜線になる。眺望が良ければ絶好のプロムナードだろう。
やがて船の垰、この垰(たお)という地形ははじめて見るが少し奇妙な感じだ。主稜上を歩いているのには違いないが、ずっと窪地になっていて、まるでちょっとした谷を歩いているのと同じで、これでは晴れていたとしても眺望は何もない。
3時間半の予定であったのに全然休憩する場所がないためか、予想外に早く2時間半で楊枝ケ宿に着く。相変わらず下界は全然見えず、わずかに遠方の稜線がぼんやりと見える程度。遠方は良く晴れているのがわかるが、不思議なことにこの稜線だけ分厚いガスに覆われている。
あまり疲れもないので休憩せずに、すぐ仏生岳の登りにかかる。ここらへんはまだ明るいが、少し上のほうはガスが渦巻いており、あの中を通って行かねばならないかと思うと少し憂鬱になる。急坂を登って行くとやがてガスの中に突入。
登り詰めると道が分かれて左手は頂上経由、右手はまき道らしいが正式なルートは右手のようである。トウヒの原生林は、地面は分厚いコケに覆われ、日の光も全然通さず陰惨無比の感じ。泉鏡花の「高野聖」を思わせる。
孔雀覗では幸い下界のガスがうすれていて、前鬼川の源流が直下に良く見える。おもしろい岩峰が林立しており、しばらく休憩したいところだが寒い。
晴れていれば絶好と思われる岩道を行く。ところどころに鎖がついているので何の心配もない。釈迦に登る途中で岩陰に入り弁当を食う。手がかじかむようで暑いコーヒーを飲んで暖まる。食後、ペースに乗らぬうちに釈迦頂上。
いきなり大粒の霰が横なぐりに降りだし、あたりは一面のガスだし、寒いこと、一目散に深仙の宿目ざして下る。深仙から小さなピークを三つ四つ巻いて行くと、知らぬ間に太古の辻へ出てしまう。
あまりあっけないので再び引き返して大日岳へ通じる道をさがす。強引によじ登るとそこが大日頂上。あい変わらずガスで眺めは良くない。北側は大きな一枚岩で鉄鎖がたらしてあり、これを伝って下る。
太古辻から前鬼までの道は林の中の急な下りで石が多く歩きにくい。ところどころにこぶしの花が見られる。小雨もパラつき、非常に遠く感じられる。
久しぶりに風呂に入り、今夜は昨日と違って畳の上に厚い布団をかけて、まだ外は明るい6時からぐっすり寝こんでしまう。
 
5 月 4日(水)晴
山を下るという日に皮肉なことに快晴。急な下りは足が痛い。深い谷ではるか下のほうでトウトウと水の音がする。30分足らずで坦々とした林道に出る。
しばらくは梓谷に似た感じの気持ちいい谷だがダムの水がたまっているあたりまで来ると、車が通れるようにいやというほど遠回りの連続で腹立たしい。うんざりした頃に遠方に鉄橋が見え、バス停のあたりらしく赤屋根の家も見えてくる。

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