10月25日(金)晴 |
町石道と書いてチョウイシミチと読む。長らくこの読み方が分からず、知ったのはやっと今年の夏。
お遍路さんに関するホームページを立ち上げておられる「竜馬16」さんから、町石道の立派な地図を送っていただいてからますますこの道を歩いてみたくなり、やっと今日出かけた。
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慈尊院前の駐車場に車を置いて朝の慈尊院にお参りし、大きな地図を片手に歩き始める。
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最初のみかん山(というより柿山かな)を登るところがこのコースで一番の登りだろう。30分歩くと右手に展望台があり、眼下に蛇行する紀ノ川の流れと対岸の町並みが開けている。朝日と夕日の名所だそうだ。
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この付近は柿畑が続き、ちょうど今の季節は柿の実があざやかに色づいている。百五十八町石はたわわに実った柿に取り囲まれている。
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そのうちに道路の舗装が切れ、みかんと柿の畑も途切れると、後はずっと杉林の中の道になる。六本杉をに突き当たり、これを左に曲がって、上古沢駅に抜けられる古峠まで来てから、丹生都比売神社(ニブツヒメ神社)に立ち寄るつもりだったことを思い出すが、もう遅い。
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二ツ鳥居から丹生都比売神社を往復することができるが、とてもその気にはなれず、またの機会に。(そんな機会はあるのかな?)
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しばらく行くと右手に華麗な丹生都比売神社が右手下に見える。やはりもう一度このコースを歩いてみよう。そして間違いなく丹生都比売神社のコースを取ろう。
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このあたりでお遍路さんが追いついてくる。6年かけて四国をまわり終え、今日はそのお礼参りだそうだ。このお遍路さんに道を譲ると、とても歩くのが早くすぐに見えなくなってしまう。四国をまわった6年の間になにか妖術を習ったに違いないと思って歩いていると、町石に向かって手を合わせているところに追いつく。
六十町石で高野山道路を横切り、渡ったところに焼餅が名物の矢立茶屋がある。ここで先ほどのお遍路さんと一緒に昼食をとらせて貰い、ついでに名物の焼餅と抹茶のセットを注文する。
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この後は袈裟掛石、押揚石と続いてもう一度車道を横切るとしばらく緩やかな道が続きまもなく30町石。この町石は背も低くブッシュの横に立つが30町といえば残り3km程度、もうすぐそこだ。
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十町石を過ぎると急な坂道になって、これを登り切ると大門前に飛び出す。大門をくぐったところに六町石があり、五町石、四町石は道路に沿った町の中、三町石から一町石は街路に沿った塀の内側にあって手でさわることはできない。
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そうこうしていると壇上伽藍で、高野山のシンボルである朱塗りの根本大塔に着く。町石道を全部歩こうとすれば奥院の弘法大師御廟まで行かねばならないが、これは奥院側一町石から始まって山上三十六町石まであるので、今日はこれまでにしよう。
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観光協会前から駅行きのバスに乗り、高野線九度山駅から慈尊院まで車をとりに行くが、この道が長い。学校帰りの小さな女の子に慈尊院へ行く道を訪ねると「私、慈尊院に帰るから一緒に帰ろ」と言われて一緒に歩くが、遅れないようについて歩くのが精一杯。
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