関谷から信貴山を経て柏原(奈良、大阪)

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2009.03.08
同行者 囲炉裏メンバー(敬称略)
hidetyan、RIN、セージ、ユーエス、ゆき、こごせ、白鬚、pikku、蓮、smoch、jenny、越路、村民外1名

03.08 関屋駅9:10−10:35明神山10:55−11:50三室山12:30−14:30信貴山−15:15高安山−15:30ケーブル駅15:45−16:40高雄山−17:40JR柏原駅

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3月8日(日)曇時々晴
関屋駅から明神山方面に向かって歩き始める。すぐ山道になり、最初のうちはかなりぬかるんでいる。尾根に出ると左手、大和川の向こうに信貴山が見える。ちょっとしたアップダウンの後、明神山に到着。三角点のところには「西山」という表示しかない。後で調べると、明神山を別名西山というそうだ。
大和川の向こうに信貴山が見える 明神山に到着
 
山上には大きな展望台がいくつかあり、南を見ると二上山と葛城山が重なって見える。東のほうは霞んであまりはっきり見えない。
明神山の展望台 二上山と葛城山
 
途中から地図にもないような場所を下り、やがて大和川を渡る。住宅街から細い道を入ると山道になり、すぐに三室山の展望台に着いてここで昼食。
大和川を渡る 三室山の展望台
 
昼食を食べながら王寺の街を見下ろす。この後しばらく歩くと自動車道に出てこの道に沿って登る。信貴山が次第に近づいてくる。
王寺の街を見下ろす 次第に近づく信貴山
 
信貴山(信貴山寺)は思った以上に大きな寺で、人も多く大勢の人がお経か声明を唱えているのが聞こえる。ここではhidetyanも法螺貝を吹くわけには行かない。有形文化財になっている開運橋を渡理、石灯籠の列を過ぎると大きな張子の虎(福寅)がある。聖徳太子がこの山で毘沙門天王を感得されたのが寅年、寅月、寅の日であった貯め、信貴山と寅とは木っても切れない仲だそうだ。今月の中旬、真弓監督もここを訪れ、優勝祈願すると書いてある。
開運橋から信貴山を見る 大きな張子の虎(福寅)
 
大きな本堂にお参りした後、多寶搭の横を通って奥の院(山頂)へ向かう。
信貴山の本堂 多寶搭の横に奥の院参詣道がある
 
長い石段を登って奥の院へ向かう。やがて最高所に到着。かなりもやって、遠くがあまりはっきり見えないのが少し残念。奥の院のすぐ近く、参詣道から少し外れたころに「信貴山城址」の石碑が建っている。
奥の院から葛城山方面の眺め 信貴山城址の石碑
 
信貴山の北東から北を回って下り、高安山へ向かう。最後は道もない急斜面をよじ登り、二等三角点を見つける。ケーブルの駅へ向かう道に戻り、少しいくと丸い気象レーダが見えてくる。
高安山頂上三角点 気象レーダー
 
レーダーからケーブルの駅まではすぐで、ケーブルの駅でsmochさんが担いできたみかんの缶詰をご相伴に預かった後、8名がケーブルで下山する。この後、広い霊園と変電所を過ぎると右手に赤い鳥居の立つ高尾山登り口がある。
ケーブル高安山駅 高尾山登り口
 
もううんざりだが、ここでまた登り。登りきったピークには高尾山と書いた山名板が掛けてあり、大和川の眺めがよい。その横になぜか「法善寺第一区 第二区領有」と書いた石碑が建っていた。下りは別のルートを取るが、ちょっとした岩場の下りで、ストックをリュックに固定し、首から下げたカメラも上着の中に入れて、ユーエスさんの後を慎重に下る。下りきると元の赤い鳥居の立つ場所だった。これから広い道を少し下ると、ラッパ水仙の群生地があり、今が満開だった。
高尾山から見る大和川 ラッパ水仙
 
水仙の群生地を過ぎるとまもなく「たにごえの道」「なかよしの道」と書いた道標があり、このあとすぐ柏原の街に入る。近鉄の駅を見送ってJRの駅から電車に乗り、帰宅した。

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