熊野古道・紀伊路3(鳳−東貝塚)

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5.泉佐野−山中渓  6.山中渓−布施屋  7.布施屋−海南  8.海南−紀伊宮原 
9.紀伊宮原−紀伊内原  10.紀伊内原−切目  11.切目−南部  12.南部−田辺 
番外和泉鳥取−地蔵堂王子跡

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2010.10.23

10.23 鳳駅8:35−9:50篠田王子−11:15井ノ口王子−12:05池田王子−12:35春木川12:50−13:55東貝塚駅

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10月23日(土)晴
ここからスタート 今日は鳳駅からすぐのアーケードの着いた本通り商店街入り口からスタート。商店街の途中に左手に大鳥居新王子という王子社があったはずであるが、今は跡形もなくはっきりした場所も分からない。
道標 府道30号線に出ると熊野街道の道標があり、江戸時代には小栗街道と呼ばれるようになったと書いてある。
等乃伎神社 大阪府が発行してある地図には、府道の右手少し中にある等乃伎(トノキ)神社へちょっと寄り道と書いてあるので行ってみる。鳳胃腸病院の前から簡単に行けたが、神社横を通り抜けて富木の信号に出るまで細い道が入り組んでいて少し分かりにくい。
聖神社一ノ鳥居 富木の南の信号から府道と別れて左手の、府道とほぼ平行に走る広い道を歩く。堺泉北高速道路を過ぎてから、どこで間違ったのか道が突き当りになり、人に聞きながら元の道に出る。どうやら高速道をくぐるあたりで少し東に寄りすぎていたようだ。左手に信太小を見て少し行くと聖神社一ノ鳥居がある。
篠田王子跡 鳥居のほんのすぐ先、左手に細い道があり、ここを入るとすぐ篠田王子跡の碑と説明版が立っている。
道しるべ 広い道からそれて左手の少し狭い道に入るところに熊野街道の道しるべが立っている。道標も道しるべも全く同じだが、大阪府発行の熊野街道という地図ではコンクリート柱は道標、こういう板の道標は道しるべと記して区別している。
平松王子跡 住宅街の公園の前、四角い水タンクの横に平松王子跡の石碑だけが立っている。
道標 自衛隊駐屯地を過ぎたところでまた迷い、路地の入り組んだ住宅街で道が分からなくなる。通りがかったバイクを止めて道を尋ねる。かなり離れたところに来ているようで、何人かに聞いた後「これが小栗街道や」というところに出て一安心。確かに熊野街道と小栗街道の道標が立っている。
井ノ口王子跡 府道30号に合流するところの向かい側に井ノ口王子跡がある。小さいながらも社があり、このあたりの王子跡では一番立派な王子跡のようだ。
槇尾川 このすぐ先で槇尾川を渡る。この川は下流で牛滝川と合流して国道26号と交わるあたりでは大津川になっている。
池田王子跡の説明板 久米田駅の東のほうに池田王子があったというので行ってみると、池田王子跡の説明板があった。今日は久米田駅までで終わろうかと思っていたが、まだ12時なのでもう少し歩いてみることにする。
道標 府道30号に戻ってしばらく行くとまた道標があり、「小栗街道 四里」と書いてあるが、どこから四里なのだろう? このあたりでは熊野街道と書いたコンクリート柱は全くなく、たまに小栗街道と書いたコンクリート柱が立っているだけ。
春木川手前の休憩所 そろそろ昼食にしたいが適当な店がない。マクドナルドの店があり入ろうと思ったが今日は土曜日。満席だった。その後もファミレスならあるが車がいっぱい停まっているので満員だろう。春木川のたもとに東屋風の休憩所があったのでここに座り、非常食を食べて昼食代わりにする。
この後地図には和泉式部筆塚石碑とか和泉式部碑とか書いてあるのだが、全く気付かないうちに通り過ぎてしまった。東貝塚駅の通りと交わる堂ノ池交差点とその手前の交差点の間に浅字川王子があって、碑はないと書いてある。まったく説明板も何もないまま堂ノ池まで来てしまったので道路の反対側に何かあるのかなあと思い、もう一度手前の交差点まで行ってみたが結局何も見つからない。引返すとき、古くから住んでいるという夫婦に聞いてみたが、小栗街道の一里塚ならよく分かるが、浅字川王子というのは初めて聞いたということであった。後で調べると浅字川王子より麻生川(アソカワ)王子というほうが多いそうで、麻生川王子といって尋ねれば別の返事が返ってきたかもしれない。この信号間2往復で疲れてしまい、今回は東貝塚駅どまり。

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