柳生街道・滝坂の道(奈良)

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2011.04.29

04.29 忍辱山−10:20−10:30円成寺10:45−11:55峠の茶屋(昼食)12:20−12:50地獄谷石窟−13:20春日山石窟−13:35首切地蔵−14:35春日大社−15:15近鉄奈良駅

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4月29日(金)晴
奈良から歩いていくと帰りのバス時刻が気になってゆっくりできないので忍辱山までバスに乗り、奈良へ戻ってきたが、下り坂が多く、特に地獄谷近辺で急坂を一生懸命登ってくる対向者を見ると何かずるいことをしているような気になった。
円成寺多宝塔 忍辱山バス停で降りるとすぐ近くに円成寺があり、拝観料400円を払って中に入る。楼門が国宝で向かいの本堂、本尊とも重文、本堂の奥に小さな神社のようなものが建っていたが国宝の白山堂と春日堂、手前の多宝塔には国宝の大日如来が安置されている。多宝塔の中はふつうに見るとガラスに反射して中がよく分からないが、紙製ののぞきメガネをガラスに密着してやると、中がはっきり見える。
円成寺庭園 門の前の庭園は名勝に指定されなかなか美しい。これだけの庭園を持っているのだから、昔はもっともっと広い寺だったのだろう。
柳生街道入口 バス停では大勢のハイカーがバスから降りたが、円成寺でゆっくりしている間に誰もいなくなり、庭園からバス道に出るとどちらに行けばよいか分からない。大雑把なてくてくマップで右だろうと思ったが、ちょうどおばあさんが出てきたので聞いてみるとバス停先の柳生と書いてあるほうへ行けという。集落まで戻ったがおかしいので店の人に聞くとやはり逆。ここで少し手間取ってしまった。
石畳 柳生街道に入るとしばらくはきれいな石畳の道になっている。
六地蔵 間もなくお地蔵さんが六体並んでいる。これが六地蔵だろう。
柳生街道 道はほぼ平坦で所々分岐もあり、広いほうを歩いていけばよいのだろうが、人の姿が全く見えず少し不安になることもある。しかしたまに「峠の茶屋何km」と書いてある道標があるので、間違いないのだろう。
茶畑 やがて舗装道路に出て進んでいくと集落が見えてくる。ちょうど田植えの最中。分岐点を右に曲がると茶畑が広がり、上へあがっていく道の突き当りにお地蔵さんが祀ってあるような感じだったが、後になって調べてみるとこれがどうやら五尺地蔵だったようだ。
甘樫丘展望台 このすぐ先にトイレと休憩所があり、先行者たちと追いつく。もう昼食の時間だが、峠の茶屋まで0.5kmと書いてあるのでもう少し歩いていくと峠の茶屋と書いた提灯をつるした茶店がある。縁台がいくつか出してあるので、ここに座らせてもらって弁当を食べる。部屋の中には昔、酒のカタに置いていったという鉄砲や槍がガラスケーに入れて飾ってある。
地獄谷 茶屋の先で左に入る狭い下り坂があり、道標によるとこれが地獄谷石窟仏へ向かう道らしい。街道にしてはかなり狭く急な坂を下っていくと最低部に橋があって、この先また登ったり下ったりして石窟仏へ向かう。
地獄谷石窟仏 石窟仏は予想に反して単に線刻したもので、ほとんど立体性はない。この辺りで春日大社から歩いてきた人たちと何人かと出合うが、相手は急な坂を一生懸命登ってくる。
石窟仏案内板 急な坂を下っていくとドライブウェーに飛び出す。ここには地獄谷石窟仏の大きな案内板が建っている。
新池 ドライブウェーを横切っていくと池が見えてくる。これが地獄谷園地の新池だろう。もう首切地蔵もかなり近いようだが、橋のたもとに「春日石窟仏0.5km」の道標があったのでこの橋を渡る。
春日石窟仏 この道は誰も通らないがよく手入れされていて途中にベンチやテーブルなど用意された場所もある。最後の本当に急な坂をほんの少し上ると春日石窟仏。こちらは立体的に彫られていて地獄谷石窟仏よりずっと見がいがある。彫られている仏像の数も多い。これは正面に見える仏像だが、突き当たりの壁にも彫られているのかどうか暗くてよく分からない。石柱を隔てて右の壁にも何体かの石仏がある。
春日石窟仏 左手の洞にも三体か四体の仏像が彫られている。細かい説明板が立っていたがよく覚えていない。
石畳 こちらのほうが昔の街道だったらしく、石畳の道が首切地蔵に続いている。しかしこの道は誰も通らない。
橘寺 やがて前方が開け、トイレと休憩所があり、人の姿も何人か見える。ここが首切地蔵前の広場になっている。
首切地蔵 荒木又右衛門が試し切りしたという伝説のあるお地蔵さんは首のところに線が入っている。かなり大きなお地蔵さんで、試し切りするならもっと小さなお地蔵さんでするだろうにと思ってしまう。
滝坂 これから先の下り坂を滝坂の道というらしく、渓流沿いの気持ちの良い道が続く。
夕日観音近くの三体地蔵 右手に朝日観音がはっきり見えたのに写真を撮るのを忘れてしまった。そのすぐ下に夕日観音と書いた場所があるが何も見えない。その先右手に入るところがあり、石ころの歩きにくい道を登っていくと仏像があったのでこれが夕日観音かと思ったが、どうやら夕日観音手前の三体地蔵だったようだ。
ゴール、明日香小学校 さらに引き続いて有名な寝仏があるが、これはいくら見ても仏様の姿が見えないままさらに下っていくと前方に民家が見えてきた。気が付くといつの間にか道路もアスファルト舗装に変っている。
この後春日大社に立ち寄り、興福寺五重塔の横を通り近鉄奈良駅に出る。

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