熊野古道・伊勢路2(田丸−女木峠−栃原)(三重)

          
1.伊勢神宮−田丸   2.田丸−栃原   3.栃原−滝原   4.滝原−梅ヶ谷  
5.梅ヶ谷−三野瀬  6.三野瀬−相賀  

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05.15 田丸駅7:55−9:10巡礼道引観世音−9:35永昌寺−10:35女木峠−12:40柳原観音−13:50栃原駅への三叉路−14:05栃原駅

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5月15日(日)晴
田丸駅前の像 今日は田丸から栃原まで歩くので車を栃原駅に置き、電車で田丸駅に着いた。駅の外に出ると菅笠をかぶり、荷物を背負った旅人の像が目を引く。
熊野街道、伊勢街道の標識 昨日の終点、初瀬街道と熊野街道の合流点と書いたところへ行ってみるが、今日は朝から大勢が溝さらえをやっているので、写真は撮らずにスタートし、駅近くのところに熊野街道、伊勢街道と書いた標識が立っている。
背の高い道標 線路を渡り集落を出て右に曲がるところに神照山廣泰寺の石碑があり、その横に「右くまの・・」とうっすらと読み取れる。これが案内書に書いてある背の高い道標か? あまり道標という感じじゃないなあ。
巡礼道引観世音 三叉路を右手の旧街道らしいほうへ入るとすぐ巡礼道引観音で西国三十三ヶ所の観音石像三十三体がならべてある。
街道筋 いかにも街道筋らしい通りをどんどん歩いていく。
やがて正面に永昌寺が現れる。門の横に説明板が立っていて、以下のように記されている。
「永昌寺は曹洞宗の寺院で本尊は千手観音立像(室町時代)。
辻には昭和初期に再建された大日堂があり、向かって右に石灯籠、左に地蔵が立つ。共に江戸中期作。
永昌寺
眠り地蔵 境内には、紀州の殿様行列の折り、旅人が土下座したまま居眠りして打ち首になり、哀れに思った村人が祀ったといわれる眠り地蔵や、西行法師ゆかりの歌碑がある。」
栃ヶ池 永昌寺の前で道は大きく左に曲がって南下する。田植えはすべて終わっているが、田の様子を見に来ている人や大砲のようなガンを抱えて農薬を撒く人など農家はいつまでも忙しい。細い道が集落に入る三叉路でちょうど御婆さんが出てきたので、熊野街道はどちらか尋ねるとこっちだよと言って狭い道を指さす。ここなんか絶対に道標が欲しい。集落を抜けると栃ヶ池のの横に出る。
女木峠の道標 広い道を横切った先に女木峠の道標がある。
登り口付近の案内図 高速道路の下をくぐってから登りが始まる。登り口には大きな案内板が立っている。
「伊勢参宮をすませた旅人達は田丸周辺で旅姿を白装束に着換え、はるかに遠い熊野を目指しました。その最初の峠がこの女木峠です。たいして険しい峠ではありませんが、峠の山頂部は切通しになり、古道の長い歴史と人の営みの跡が残ります。切通しを抜けると視界が開け、熊野へ と続く山々が幾重にもかさなって望まれます。少し下ると熊野詣での人々が旅路の安全を祈ったであろう「如意輪観音像」や自然石の「六字名号碑」が今もひっそりと佇んでいます。」と記してある。
峠付近 途中荷車のわだち跡や全く痕跡も残っていない水飲み場跡などの標識が立っており、順序はどこか忘れたがベンチが用意してある場所があったので座って水を飲む。
あまり登った感じもしないうちに峠に着く。
茶屋跡 峠の手前は少し平坦な場所があり、そこに茶屋があったのだろうと推測されている。そこにも峠付近の大きな案内図があったが、ちょうど太陽で光って写真は撮れない。
切通し 峠は切通しになっていて、岩をかなり削ったところもある。当時の技術ではかなり難航したことだろう。
栃ヶ池 少し峠を降りたところの曲がり角が少し広くなっていてベンチの用意もあるので、ここで昼食にしようと近づくとここに名号碑と如意輪観音像が立っていた。
この時、ずっと手に持っていた地図がないのに気が付き、峠の手前で水を飲んだ時に地図をベンチに置いた記憶があるので、取りに戻る。
切通し 峠のところだけは道標があるが、下に下りるとまた道標がなくて地図とにらめっこしなければならない。運よく記憶通りのベンチに風にも飛ばず残っており、2往復した甲斐があった。
大きく首をかしげた如意輪観音の前で昼食。
前方が開ける 杉林の中を下っていくとやがて前方が開け、民家も見えてくる。
茶畑 この辺りは一面茶畑になっている。
道標 広い道に出るところに道標があったが、予想通りそれ以後はほとんど道標がない。
地蔵 地図を見ながら細い道へ曲がり、しばらく行くと大きな地蔵が立っている。「この地蔵は町内最大級で肉が厚く浮き彫りされた立派なつくりである。」と説明があった。
五輪塔 集落のはずれに、伝染病に苦しむ村人のため、自ら生き埋めとなって仏の救いを祈った、当地出身の浄保法師のためたてられたという浄保法師五輪塔がある
柳原観音 さらにこの道を進んでいくと電柱に柳原観音千福寺と書いた看板が掛かっており。そこを入ると突当りに巡礼道引観音の石碑とその奥に観音様が祀ってあるような建物があったが説明は何もなく、電柱の看板以外に柳原観音という言葉も見当たらなかった。
宮川 地図を見ていて、栃原のほうに向かうには川を渡らなければならないというイメージがあり、その川が宮川とばかり思っていたので宮川のほうへ曲がる道があると迷わず宮川の橋を渡ったが、それから地図をよく見ると宮川に注ぐ小さな川を渡るだけで、宮川を渡ると方向違いであることに気が付いた。まあ宮川を見に来たと思えばいいか。
まっすぐな道 元に引返してやがて広い道から外れて下新田、上新田と続く旧街道に入る。この道はどこまでもまっすぐで、車も人も全く見えないいやになるような道である。
栃原への三叉路 やがて真っ直ぐな道も終わり、国道を越えてから栃原駅に向かう三叉路に着く。今日の熊野路はここまで、次回は「熊野古道・バカ曲り」と書いたほうへ進めばよい。ここから栃原駅に置いてある車で帰りの道に向かう。

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