東海道五十三次1(三条大橋−山科)(京都)

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2012.05.19

05.19 三条橋12:00−13:50旧東海道入口−14:30ラクト山科公園

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5月19日(土)晴
東海道五十三次を2年半かけて歩くというツアーが読売観光から発表された。他社は前から中山道を3年かけて歩くというツアーを行なっている。これは大阪市内集合で3年が長すぎる感じがして参加していなかったが、今回の読売ツアーは泉佐野集合なので行き易いと思い参加したがどうも間違いだったようだ。関西各地から15台のバスが集まり人数は600数十名だそうだ。とりあえず全員鴨川の川原に集合。今回は語り部さんが同行し、要所要所で説明があるそうだ。人数が多いのでFM放送でその話を聞くためFM受信機が配布された。まず川原で弁当を食べてから出発。ところで今回はカメラを忘れて偶然一緒になったナカさんの写真を借りた。
弥次喜多像 東海道には五十三次と五十七次があって弥次喜多道中膝栗毛が日本橋から三条までの五十三次を歩いたのでこの方が有名になったが、大阪高麗橋までの五十七次もあるということであった。 三条大橋
三条大橋ギボシの刀傷 三条大橋西詰から歩いていくと西から2ツ目の擬宝珠に刀傷が残っており、池田屋騒動の時についたのではないかと説明版が立っている。橋を渡りきると高山彦九郎の皇居望拝の像がある。高山彦九郎は京都に出入りするときこのように御所に向かって拝礼した。 高山彦九郎の像
白川橋の道標 三条通りを東に進むと白川橋の道標があり、京都最古の道標だそうである。なんと書いてあるのか全くわからなかったが、是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち」と彫られているそうだ。その少し先には龍馬とお龍の結婚式場跡の碑があり、やはり京都は歴史が古い。 坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡
この後、粟田神社にお参りして第一回目の語り部の説明、ウェスチンホテル京都の先でトイレ休憩と第二回目の語り部の説明があったが、どんな内容だったか全く覚えていない。目で見たものは覚えていても耳から聞いたものはすぐ忘れてしまう。
車石での語り部さん蹴上駅から道は大きく南にカーブし、やがて広い道の右手に広場があって荷車に米俵を積んだ置物がある。ここでも語り部さんの説明があり、後から後から人が来るので人で埋まってしまう。 車石
旧東海道入口 荷車の広場のすぐ脇から旧東海道は右へ入る。道幅は非常に狭く、これが東海道?と思うような道が続く。 旧東海道
熊川宿 JR東海道線を渡る手前に緑地があり、ここでも語り部の説明があった。その後市街地を歩いて山科駅前のラクト山科公園という狭い公園に到着。今日はそこが目的地。今日の距離は普通に歩けば1時間半もあれば十分なところを、途中で何度も長時間立ち止まることが多かったので意外に疲れた。 熊川宿

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