6月1日(金)晴 |
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バスは相鹿上神社前に着いたがこの神社は前回バス待ち時間に一巡した。前回は標識広場をあまりよく見ていなかったので、標識広場まで戻る。もう一度よく見てこれが札の辻であることを確認し、今日は相可交差点から出発。 |
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高架になっている42号線をくぐりJRの踏切も渡るとしばらくあまり民家のない道になる。水分社という小さな神社があり、説明板によると水分神社と山の神が祀られ、以前は清水が湧き出て旅人の喉を潤したそうだ。この付近の山側にはジンジソウが群落をなして咲いている。 |
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西池上集落に古い薬屋の大きな看板があった。もう真っ黒になっていて、説明板を見ないと分からない。その先に西池上常夜灯があり、この常夜灯は上の傘が丸く、裏に階段がある。 |
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東池上集落外れの手前に伊勢本街道の標識があり、通りの左にそれるよう指示している。それに従っていくとダイヘンの工場横を通り広い通りを横切って深い森に入る。最初のうちは舗装道路だがすぐ地道に変わる。 |
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全く人の気配のない道を10数分歩くと左手に案内板が立っており、伏拝坂石灯籠文政10年と書いてある。伊勢参りの旅人がここまで来てお伊勢さんまでの距離を尋ねたところ「三里山道五里畷」と聞いて参宮をあきらめて帰ったという。この裏に小道があり、登ってみたところ、文政十年と書いた石碑はあったが、石灯篭は見当たらなかった。 |
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この森を抜ける手前に大きな切り株があったのでこれに腰かけて食事した。民家が見えてきたので行ってみたら無人だった。上田辺の北のほうでどれが本街道か分からなくなり、農作業をしていた御婆さんに訪ねたところあの黒い棒が伊勢本街道の目印だけど、そら誰にも分からんわなあと笑っていた。 |
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道沿いに正念僧・人柱供養碑塚の説明板が立っている。昔正念という老僧が農家に逗留中に病にかかり、死期を悟って街道を往来する旅人の安全を祈って人柱に立ったと言われており、村人はこれを憐れみ供養のためにその上に塚を築き碑を建てたと記されている。急な石段を登ると上に碑が立っていた。
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羽根という地名のところに石灯籠と鳥居が立っていたので行ってみると、鳥居の向こう側には石を組んだ台の上に小石を積み上げただけでその真ん中にミニチュアの鳥居がたててあった。誰か人がいれば何の意味か聞きたかったが人の姿は全く見えない。 |
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道路にシルバーゾーンと書いてある。スクールゾーンはよく見るがシルバーゾーンとは珍しい。そのうち、大和はせ道と書いた新しい標識があり、何の施設かと見ると玉城町公民館と書いてあった。 |
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さらに伊勢本街道の説明板もあり、伊勢本街道(初瀬街道)と書かれていて.
はせ道の標識が多いのもうなずける。しかし同じところに何本も標識を並べるより、ここまで来る道が分からないところがあちこちあるので、そこらに標識を立てるよう、玉城町ももっとしっかりしてほしい。 |
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田丸城の近くを回って行く所に石灯籠と鳥居が見えて、伊勢へ行くのはどっちかと通りかかった人に聞いたら石灯籠を左に折れて次の辻を右と教えてくれた。こういうところに標識を立ててほしい。やがてはせ街道と熊野街道合流点という場所があったが説明板が道標の陰でよく見えなかった。 |
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新宮まで158kmと書いた熊野街道標識前を通って田丸の駅に着いた。田丸城址でしばらくのんびりしようかと思っていたが今日は暑すぎる。以前熊野古道伊勢路でここに来たときゆっくり見物したので今回は省略。バスで伊勢駅に出る予定だったが、JRが先に来たのでそれで松坂に向かった。 |
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