9月8日(土)曇 |
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家を出るときは雨で天気予報も悪かったので大きな傘を持って出ようかと思ったぐらいだったが歩く途中は一度も傘を使う必要がなかった。目川は大きなバスが入りにくく、前回の最後と同様街道から少し離れた場所にバスが着き、そこから目川の郵便局とバス停のあるところに移動して歩き始めると、すぐに目川一里塚で大きな石碑が目につく。 |
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目川の一里塚を過ぎてしばらく行くと、左は中郡街道の道標が立っている。中郡街道をNETで調べてみると現在の県道117号線のことだそうだ。まもなく狭い川を渡るとき右手に三上山が見えた。電線と手前のアパート群が邪魔だがここからはこの写真しか撮れない。 |
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道路沿いの建物に東海道上納村何の何平衛という名札の着いた建物が並ぶ。どれも古い名前だから今の住民とは関係ないのだろう。 |
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鈎の陣というのは将軍足利義尚が六角氏を討つため近江へ出兵し、鈎(マガリ)へ構えた陣のことである。ここが整備されて休憩所になっており、しばらく休憩。この後すぐに草津中仙道へ向かう道が左手にあるがこの左の道の方が近道で車道として整備されているのだろう。 |
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まもなく左に曲がると手原駅、公衆トイレが途中にあまりないということでそちらに向かう。その後稲荷神社で昼食。何しろバス14台分の人数がいるので、団子状態にならぬよう順番に出発せねばならず、休憩場所でもすぐ前のグループに追いつかぬようしばらく待ってから出発というふうに何かと時間がかかる。 |
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肩かえの松という看板が立っているが、ここで旅人が荷物を担ぐ肩を替えたという場所である。家々にはまた旅籠や表具師の看板が出ている。 |
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左手に三上山がすっきりとよく見える。この次の建物は、「両替商 茶太」と書いてあった。 |
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六地蔵の一里塚があり、右手に和中散本舗大角家のどっしりした建物があるが、写真を失敗したのでこの画像は省略。名神高速をくぐるところで地図には新道の上道と旧道の下道が描かれているが、旧道の下道を行く。 |
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石部宿手前にまた公園があり、東海道53次全宿場が描かれている。ここでまたグループをさらに二つに分けて順番を待ち、次の交差点で石部宿のボランティアガイドさんに付いてもらってその案内で歩く。 |
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残念ながらこの宿場は昔の雰囲気が全く残されておらず、看板で偲ぶしかない。石部宿駅で中に入ると、囲炉裏があるだけで他に何もない。明治天皇聖跡の石碑のすぐ横に小島本陣跡があるが、これも全く看板だけ。突当りが高札場になっていて立札が立っていた。今日はここが終点。左に曲がってバスの駐車場まで行き、そこからバスに乗る。 |
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