10月20日(土)曇 |
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前回最終点の藤栄神社から少し歩くと水口地域市民センター。時間は早いが、この後は大勢で弁当を食べる場所がないということでここで昼食。センターは平日しか開いていないので建物の中には入れないが、展示してある山車などが外から見える。 |
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この辺りの街道はあまり宿場町というか感じはしない。しばらく行くとカラクリ時計がある。説明がないのでどういうカラクリかは分からない。よく見ると台には大きな車輪が付いていて元々は動かせるようになっていたようだ。 |
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外観はまだ新しいが向かい通りに改装した民家などがあり、またカラクリ時計がある。 |
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高札場跡で道は少し曲がりとにかく人が多いので、写真も満足に撮れない。近くにあるはずの本陣には気が付かぬうちに東見附がある。これを通り過ぎると水口宿も終わりで旧東海道をひたすら歩いていく。 |
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岩神社を過ぎて少し行くと今在家一里塚があり、植えてある木は何が知らないが、幹もだいぶ太くなっている。この後道路は国道を渡りしばらく国道の北側を歩く。そのうち甲南市土井山の標識があり、ここから土山だ。 |
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昔の水口町と土山町の境界線あたりは道路わきに建物もなく、広々と田園が広がる。東海道そのものはどこも同じようだ。 |
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各建物に昔の屋号のようなものが付いている。また旅籠跡の石碑なども立っている。 |
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突如茶畑が広がる。この辺りはお茶の産地なんだなあ。この後茶畑はあちこちで見かける。そのうち立派な一里塚があり、これが大野市場一里塚だ。 |
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やがて旧東海道の分岐。昔この先の野洲川を渡るのに北に大回りして松尾の渡しを使わねばならなかったが、明治時代に右側の道が出来たそうだ。この先にも広い茶畑が広がっている。 |
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この橋は人と自転車だけが通れる橋で、すぐ北側に国道の白川橋が見える。このずっと上流に松尾の渡しがあったわけだが、橋から覗く限り川は浅く、裸足になれば歩いて渡れそうだが昔はもっと深かったのだろう。 |
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土山宿の入口にはボランティアガイドが待ち構えていて、いろいろ話を聞かされるが何も頭には残っていない。ここから国道を右にそれて土山宿に向かうが御代参街道起点のところでまたボランティアが待ちかえていてここでも長々と話を聞かされる。 |
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土山宿の案内板や、壁いっぱいの大きな絵地図が描かれており、どこに何があったのか細かく書いてある。 |
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本陣跡の入口にまたボランティガイドがいて長々と説明を始める。こんな説明はなしで分かりやすい地図を渡して自由散策にした方がよほど良い。説明を聞くのが面倒で隣の問屋宅跡の写真を撮ったり、うろうろする。 |
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すぐ近くに伝馬館という建物があり、今日はここまで。伝馬館は建物そのものは昔の建物をそのまま使い、2階には各宿場の盆景が展示してある。昔の建物とというだけあって梁やなげしは非常に太い。階下右手で近江茶を売っていた。近江牛はよく聞くのだが近江茶という言葉は知らなかった。 |
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