11月10日(土)晴 |
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バスを降りて少し歩くと伝馬館で今日はここがスタート。人の少ない道を歩いていくと二階家脇本陣跡の碑があり、建物の写真を撮ったが逆光で光が入ってまともな写真は撮れなかった。 |
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旅籠平野屋跡があり建物も残っているが、こじんまりとした大きさだ。旅籠跡の石碑は無数にあり、ここが峠にかかる最後の宿なので土山宿に泊まる人が多く、手前の水口宿は休憩する人が多かったそうだ。街中の小さな橋も浮世絵で飾られている。 |
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土山一里塚は完全に普通の民家になっており、石碑があるだけ。この先に道標があり、右京都へ十五里 左江戸へ百十里と書いてあった。 |
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この後家並は少し途切れる。間もなく路端にポケットパークがあって、土山宿の碑と土山宿の詳細な絵地図が大きく描かれている。 |
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しばらく行くと道の駅だ。街道の左手に国道1号が通っていたのだ。時間は早いがこの先は適当な場所がないらしく、道の駅すぐ横の広場で弁当を食べる。紅葉もだいぶ色づいている。 |
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道の駅から街道は直角に左へ曲がり、国道の陸橋を渡って田村神社の鳥居をくぐっていく。神社手前の鳥居で右に曲がると森の中に高札場がある。通常高札場は街の中心部にあるがここは周囲に民家はない。 |
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この森を抜けると田村川を渡る街道橋で田村川の水と紅葉がきれいだった。この橋ができるまでは下流の渡し場を通ったらしい。説明板によると、橋ができてから武士の家族と農作業に通う農民は只だが、一般の旅人はこの橋を渡るのに一人3文を払った。この先は茶畑が広がる、 |
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まもなく蟹坂古戦場で、昔、北畠の軍勢が甲賀に侵入しようと六角の軍勢と戦ったらしい。結局北畠の甲賀侵入はかなわなかった。これを過ぎていくと猪鼻村の石碑がある。 |
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間もなく山中一里塚緑地に着く。この一里塚も元はここでなく別の場所にあったのをここへ移動したらしい。頭上は新名神高速道路で、滋賀県内で最初にこの工事にとりかかった新名神起工地の案内板が隣にあった。 |
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ずっと緩い登りが続いていたが、鈴鹿峠のシンボルである万人講の常夜灯があった。近くに車がたくさん止めてあり、今日は休みなので鈴鹿の山へ行っているようだ。峠から左へ入ると三子山65分と四方草山135分と書いてあった。 |
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ここで語り部の話を聞く。土山から坂下まで二里半というが、土山側が二里で坂下側は半里という。ここからの下りはそれだけ急らしい。東の箱根峠に次ぐ西の難所で、江戸時代でもここは追剥がいたらしい。県界標があってこれを越えると三重県に入る。東海自然歩道の道標もあった。 |
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ちょっと平坦な場所から下を覗くとコンクリートの階段がつながっている。これから石畳のような階段、雨が降ると滑りそうな岩がむき出しの急坂などを下り、片山神社の鳥居まで急な下りが続く。 |
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川沿いの道を下っていくと梅屋本陣跡、竹屋本陣跡、松屋本陣跡と石碑があるが、周囲に民家も何も残っていない。 |
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まもなく前方に人影が見え、ここで正調鈴鹿馬子唄を聞かせてくれる。鈴峠鹿自然の家は旧坂下尋常高等小学校の建物で国の重要文化財になっている。向かいに馬子唄会館があり、このすぐ先の三叉路が今日の終着点だった。 |
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