柳生街道 剣豪の道(奈良)


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2013.04.04

04.04 上柳生10:35−10:50摩利支天の丘ー11:10芳徳寺−11:30天乃石立神社−12:00阪原峠−13:00南明寺−13:40夜支生山口神社−14:40忍辱山バス停

4月4日(木)晴
上柳生バス停で降り、まず家老屋敷に行った。バス停付近の街道風景と家老屋敷の写真を撮ったつもりだが写っていない。仕方ないから次に立ち寄った摩利支天の丘から写真を載せる。柳生重兵衛の弟飛騨守宗冬は柳生藩大名となり、この丘に武道の守り神である摩利支天を祭った。眼下に小学校、その向こうに柳生の集落が見える。
摩利支天の丘 摩利支天の丘から見る柳生
 
この丘を降りて少し登ると陣屋跡。石州斎壘城址と書いた石碑が立っている。この丘の上に舞台を作ったり、なんやら工事をやっているので聞いてみると6,7日が桜祭りでその準備という。もう桜は満開だ。石段を下ってまた長い石段を登り芳徳寺に向かう。この裏に柳生一族の墓があったらしいが立ち寄るのを忘れた。
陣屋跡 芳徳寺
 
柳生霊園を左に見て、右にあとで下る三叉路を通り過ぎ、天乃石立神社に向かう。この一帯はうっそうとした森で、観光客にも一人も出合わない。
柳生霊園 天乃石立神社鳥居
 
真っ直ぐに切れたような岩があったので一刀石かと思ったら石立神社御神体の岩の一部で、神代の時代に天岩戸を引き明けた際、その岩戸がここへ飛んで来て3つに割れたと書いてある。一刀石はまだこの奥で、柳生石舟斎宗厳が天狗と戦った際、切りつけた天狗を翌朝見るとこの岩に変っていたという伝説がある。
天乃石立神社 一刀石
 
三叉路まで引き返し、下っていくとモクモクと煙を出している炭焼き窯がある。4人の男性が焼酎を飲みながら火の番をしている。話を聞くと、炭にする木材は窯の奥に立てて入れ、その手前で木材を1日半燃やすそうだ。仕込みと取り出しが大変な作業で火を焚いている間は酒を飲みながらゆっくりできるらしい。
炭焼き窯 炭焼き窯
 
さらに坂を下り、二車線道路と橋を渡る。この辺り道がややこしいが道標がしっかりついているので迷うことはないが、こんなとこ通るの?と思うような民家の横の狭い道を登る。
小さな川を渡る 民家の裏を抜ける
 
途中に丸い岩とお地蔵さんがあり、疱瘡地蔵という。大きな説明板も立っていたが、面倒で読む気がしなかった。結構な登りで、急なところは石畳なっている。この石畳の上に枯葉が積もって下りだと滑りやすそうだ。峠の頂上は東海道自然歩道の標識が立っているだけで阪原峠(かえりばさとうげ)の標識は立っていない。峠を過ぎた杉林の中で弁当を食べる。糖質制限の弁当なので、リンゴとハムや肉のフライだけでお握りはない。
疱瘡地蔵 阪原峠(かえりばさとうげ)
 
下りは水の流れる石畳で、本当に滑りそうでとても気を使う。やっと下り終えたが標識がなく、とにかく民家のある方を目指していくと川沿いの桜のきれいな道に出た。まっすぐ行くと浅バスで通った道にぶつかり、民家で南明寺に行く道を尋ねる。どうやら1本北の道を来たらしい。道を間違えたため、お藤の井戸を見逃した。南明寺は愛想のない寺で「檀家以外は一切の活動禁止」という札が立っており、トイレもすぐ見えているのに裏から回れと書いてある。本堂もぴったり閉まっていて、見るべき物も何もない寺だ。
白砂川沿いの桜道 南明寺
 
この後も道はややこしいがとにかく東海道自然歩道の標識について行く。柳生街道というが、最後まで柳生街道という標識は全くなかった。この大柳生集落の中に水木古墳という発掘された古墳があった。
大柳生の集落 水木古墳
 
やがて急に左の石段を登るような標識がある。上に登ってみると夜支生山口神社。夜支生でやぎゅうと読むらしい。この神社の鳥居の下に円成寺と書いた道があり、これをたどる。
この階段登れという標識がある 夜支生山口神社
 
少し下っていくとゲートボールをしている人たちがおり、ここで最後の道を聞いて行く。言われた通り小さな橋を渡るともう民家も人の姿もない。そのうち円成寺2.2kmという標識がある。道は上りにかかり、急に疲れが出てくる。坂を上りきると国道に出て、つい先にバス停がある。バスには2時間近く待たされ、近くの円成寺の庭園に出たり入ったりして時間をつぶす。
最後の坂道を見下ろしたところ 忍辱山バス停
 

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