4月19日(月)曇
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倉さんが今夜の夜行バスで土浦に帰らねばならないので朝のバスで出発する。僕もそれに合わせて出発したので今朝はいつもより時間が早い。辻家から少し行くと南朝史跡「腰抜田」の標識と説明版が立っている。今はもう川に沈んでいるが、ここも辻家の土地だったそうだ。
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赤い吊橋の舟渡橋を渡ると棚田に囲まれた上り坂になる。
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40分ほど登ったところに旅籠を営んでいた吉村家の防風林があり、樹齢500年前後の杉の大木という説明版が立っている。これだけ年を経ると杉のようには見えない。
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二十五丁と書いた二十五丁石に次いで三十丁の水があるが、どこからの距離か分からない。
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さらに少し登ると案内図に書いてあるルートは通行止めになっていて、従来の道より少し上に新しい道ができているが、かなり前からのものか道はよく踏まれている。このあたりはツツジが多くきれいに咲いている。
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道が緩くなって東屋と案内図が立っている。三浦峠である。ここで写真を撮っていると、大阪から来たという御夫婦が登ってこられ、休憩もせずに峠を下っていった。
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平地になっているところがあり、古矢倉跡の説明版があった。昔は旅籠で、古矢倉坊主なる者がいて屋敷に釣天井を仕込んで旅人を殺害し軍資金を作り、大阪の陣に出陣したと書かれている。今は地蔵坐像がが残るのみ。
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昔茶屋があった出店跡で道は新道と旧道に分かれると書いてあったが、新道には気づかずそのまま尾根筋の旧道を下った。
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道端に座り込んで昼食をとり、それから少し下ると矢倉観音堂があった。僕が弁当を食べている間に先に行ったご夫婦がここで昼食をとっていた。このご夫婦に言われて観音堂の扉を開くと、3体の石像が並んでいた。このご夫婦も小辺路は今日まで、明日は朝から大阪に帰るそうだ。
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やがて民家が見えてくる。登山道は林道とたびたび交錯して下っていく。
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何回か林道に出たところで「三浦峠登山口」と書いた道標が立っていて、これから先は舗装道路歩きになる様子である。
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国道425号に出てからの歩きが長くて嫌になってくる。宿の伯母さんがバスを勧めたわけが分かった。しかし通る車は少なく川べりなのでまだ我慢できる。ツツジがよく咲いており、山吹の花と一緒に咲いているところはそのコントラストがきれいだった。
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昴の郷も過ぎて柳本橋の先まで今日歩いた距離は26km。
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宿の露天風呂から十津川のダム湖を見たときは疲れも吹っ飛んだ。
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