11月11日(木)晴 |
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JRの貝塚東から堂ノ池交差点へ行く。今日はここからスタート。
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府道30号を横切って道なりに右のほうに行くと両側に池があり、この辺りですれ違う人に半田一里塚の道を尋ねるが「ここは半田やけど一里塚なんて知らんなあ」。さらに進んでから尋ねると「半田はもっと下やで」。雑貨屋があったのでそこで尋ねると、道なりに来たのがよくなかった。信号を渡ってすぐ右手に土手に上がると左側が堂ノ池に沿った道になる。
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池が終わってしばらくすると左手にこんもりと木が生えた小さな丘があり、その前に小栗街道の道標と「府指定史跡熊野街道半田一里塚」と書いた説明板が立っている。
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この後、やや複雑な道筋で貝塚中央病院を目指すが、このあたりはお地蔵さんをよく見かける。
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貝塚中央病院を通り過ぎ、近木川を渡る手前に積善寺城跡の看板が立っている。秀吉の根来攻めの時にはここに根来衆が立てこもり、秀吉の攻撃にも落城しなかったそうだが、こんな故事は知らなかった。
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和泉橋本駅のところでJRを横切り、鞍持王子があったという正福寺へ行こうとするが道が分からず、駅近くまで引き返して交番で道を尋ねる。保育所裏の寂れたところに正福寺があった。
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すぐ近くに南近義神社があり、ここに鞍持王子と近木王子が合祀されている。
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南近義神社の先に近木王子があったという善正寺があるが、正門はもちろん通用門も固く閉ざされていて、中をうかがい知ることはできなかった。
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地図では貝田橋を渡った先に鶴原王子(碑なし)が書いてあるが、何の形跡もみつけることができなかった。26号を超えた先の佐野王子跡もなかなか分からず、近くの家の何軒かに尋ねてやっと場所が分かった。。
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佐野王子跡のすぐ先に道しるべが立っていたが、佐野王子跡の簡単な道標こそ必要だろう。
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今日は和泉砂川まで歩くつもりだったが、カメラを充電するのを忘れ、電池切れのマークが点滅を始めたので佐野高校前で中断。南海の泉佐野駅から帰宅した。
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