熊野古道・紀伊路5(泉佐野−山中渓)

1.八軒屋−住吉大社  2.住吉大社-鳳  3.鳳-東貝塚  4.東貝塚−泉佐野 
5.泉佐野−山中渓  6.山中渓−布施屋  7.布施屋−海南  8.海南−紀伊宮原 
9.紀伊宮原−紀伊内原  10.紀伊内原−切目  11.切目−南部 12.南部−田辺
番外和泉鳥取−地蔵堂王子跡

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11.18 泉佐野高校前9:35−10:30籾井王子跡−11:15厩戸王子跡−13:30馬目王子跡−13:55山中渓駅

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11月18日(木)晴
泉佐野高校前 泉佐野駅から泉佐野高校まで歩いて約10分程度。高校前のこの狭い道からスタート。
籾井王子跡 ずっと家の立ち並んだ通りを1時間ほど歩くと住宅街の中に「泉モータース」の看板がかかったガラス張りの店がある。ここで「王子を見せてください」と声をかけると、裏の民家の庭の中にある籾井王子の跡と書かれた大きな石碑に案内された。
樫井古戦場跡 さらに15分程度歩くと樫井川のたもとに出て、橋の手前に樫井古戦場跡と書いた大きな石碑が立っていた。
海会寺跡 地図に従って明治大橋と明治小橋を渡り海会寺跡に到着。中央基壇に登る石段は普通に登ったが下りは少し怖く、手を付きながら下った。隣には市岡神社もあり、広い史跡公園になっている。海会寺跡の前に建つ古代史博物館では泉南の赤煉瓦展をやっていたが、古い赤レンガの塀はこの近辺ではあまり目につかない。
厩戸王子 古代史博物館で厩戸(ウマヤド)王子の場所を聞いたら分かりやすい地図が用意されていた。墓地を過ぎたところに王子跡があり、広々した田園地帯のなかなかいい場所だが、すぐ後ろに建つゴルフ場の鉄塔が雰囲気を台無しにしている。
信達王子 さらに40分歩いて左手に林昌寺の石柱が立つ向かい側に信達王子(一ノ瀬王子)の祠があったが、どこにも王子の名前は書いて無く案内書の写真と比べてこれが信達王子だなと分かるだけのもの。馬頭観音が祀ってあるというが、そういうことも全く記されていない。境内をくまなく見たが「奉納」の文字と「お百度石」の文字以外何も書いてない。前に熊野街道の道しるべが立っているだけだった。
岡中鎮守社の大楠 男里川を渡るところに来て岡中鎮守社に寄ってないことに気づき、引返して大楠を頼りに鎮守社を探す。少し入り組んだところにあって大阪緑百選と天然記念物の石碑が立っていた。長岡王子はこの大楠の立っているところ、あるいは信達王子と同じもの、和泉鳥取駅裏の波太神社伏拝鳥居のところとかいろいろ説があるが、この鎮守社は少なくとも長岡王子があったという推定場所の一つである。
波太神社伏拝の鳥居と長岡王子 街道を道なりにまっすぐ進むと和泉鳥取駅裏の波太神社伏拝の鳥居の前を通る。この道からは見えないが下に下りて裏に回ると駐車場になっているところに石碑が立っている。大阪府発行の熊野街道案内図ではこれを長岡王子としている。
地蔵堂王子 本来の熊野古道は波太神社伏拝鳥居から山中川沿いに琵琶ヶ岸懸(ビワガガケ)を通って地蔵堂王子に至るが、その部分は紀伊路の番外編を見て頂きたい。今回はまっすぐ山中渓に向かう。山中川を2回渡って少し歩いた後住宅街を左に入ると小さな公園の前に地蔵堂王子の案内板が立っている。
馬目王子跡 山中渓に向かう途中、左手に三国鐵工の看板が見えてくるとそのすぐ手前に馬目王子跡(足神さん)と記された小さな石碑がある。
庄屋屋敷 まもなく石畳で整備された紀州街道に入るとすぐに子安地蔵があり、ここに地蔵堂王子のご神体が祀られているという。それを過ぎると庄屋屋敷が立っているが個人の住居なので公開はされていない。
馬目王子社 さらにすぐ左手に山中神社と書かれたところを入ると馬目王子社が立っている。
賽之神 山中街道の出口に賽之神という道祖神があり、このすぐ近くの国境から毎月20日に紀州藩の悪疫の病人や犯罪者を和泉の国へ追放したが、山中渓ではあまり被害を受けなかったのはこの道祖神のおかげと言われている。すぐ近くに無人のJR山中渓駅があり、大阪府の紀伊路はこれで終わり。

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