6月9日(土)雨後曇 |
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歩き始めはかなり強い雨で合羽上下をつけて傘をさして歩き始める。こんな格好でしかも今回は国道沿いで変化に乏しかったため写真の枚数が少ない。車の往来はかなり激しく水しぶきを上げて走り去る。 |
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家が全くない山地でゆるい坂を上ったり下ったりで変化はない。道端にはウツギの白い花ばかりが目立つ。国道367の右手にはずっと川が流れていた。 |
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そのうち朽木宿の入口の柱があり、この宿の中を歩くころには雨も上がっていた。この宿は前回の熊川宿のようにきれいに整備されていないが、所々に古い建物がある。熊瀬家住宅は酒造や醤油造りの一方、藩の御用商人として非常に栄えたと記した案内板が立っていた。 |
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四条通は水路に面していて、ここで洗い物や夏の打ち水、冬の融雪に使われたと書いてある。煉瓦の煙突状のものは立樋と言って山麓の湧水樋で導水し、サイホンを利用してを各家に送水していたが水路ごとに立樋が建てられ、数件の水仲間で管理したそうだ。ここまで来れば道の駅はすぐ。雨具を脱いでみがるな格好になって弁当を食べる。 |
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道の駅から15分ほど行ったところに興聖寺がある。鎌倉時代に佐々木家の菩提寺として建設された。永平寺の直末となり西近江88ヵ寺の総禄所、末寺母26ケ寺を数えた。開祖佐々木信綱は宇多天皇の直系である。 |
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本堂内部で現住職のお話があり、本尊の阿弥陀如来は国宝級であるが作者名が記されていないため重要文化財となり、すぐ目の前まで行って拝むことができる。十二代将軍足利義昭がこの地に3年滞在されたが、将軍を慰めるため京都都銀閣寺の庭園をもとに足利庭園が造られた。 |
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