東海道53次5(石部宿−水口宿)(滋賀)

1.三条大橋−山科   2.山科−瀬田の唐橋   3.瀬田の唐橋−目川   4.目川−石部宿  
5.石部宿−水口宿   6.水口宿−土山宿   7.土山宿−坂下宿   8.坂下宿−亀山宿  

map

2012.09.08

09.08 目川10:25−11:00稲荷神社(昼食)12:05一−12:40薬師如来堂−13:20石部宿入口の公園− 14:30高札場

写真枠に×が出て写真が出ないときは再読み込みをお願いします。(写真をクリックすると拡大されます)
9月29日(土)曇
高札場 今のところ降らずに持っている。前回最終地点の石部宿高札場からが今日の行程。高札場から少し歩くと見つけの札が立っていた。見付というのは見張り番のことで、昔はここに見張り番所があったことを示している。 見付
街道筋 旧東海道はずっと中央線もなく歩道もない。今回は大半がそんな道を歩く。ところどころに格子造りの昔ながらの建物が残っている。 昔ながらの家
あけぼの公園 歩きだして1時間もせぬうちに今日は昼飯の時間。何百人かが弁当を食べるので、その場所を探し、準備をする係りの人もご苦労なことだ。あけぼの公園という名前の公園で、中は広く山のほうまで広がっているので上の方に行くと街を見下ろすことができる。 公園から街を見下ろす
杉玉 昼食後、歩き出して間もなく造り酒屋がある。北島酒造という名の酒屋だ。中に入ると酒の試飲ができる。暑いときに冷たい酒は非常にうまいが、血糖値が上がるので1杯で止めておく。お土産を買うと帰りのバスのところまで届けておいてくれるそうだ。 北島酒造
夏見立場 夏見立場の札が立っているが説明は何もない。夏見は地名で、昔ここに水で動くカラクリ人形があったそうだ。複製品でも置いてくれればいいのに。続いて夏見の里の札が立っている。読みにくい説明を読むとこのカラクリ人形のことが枕草子に書いてあるようだ。 夏見の里
弘法松 すぐ近くに弘法杉があり、堤防の上に大きな杉が立っている。樹齢700年。堤防に上がってみるとこの天井川はコンクリートの水路だけがあって水は流れていない。弘法杉の横に弘法太子像が祀ってあった。 弘法太子像
ヒガンバナ 忘れていたがちょうど彼岸だ。ヒガンバナがきれいに咲いている。そのうち大きな道標があり、この道が東海道であることを示している。ここを右に行くと信楽か。 大きな道標
横田の渡し 西の常夜灯 街道沿いJRの三雲駅があり、しばらくトイレ休憩。この後横田の渡し跡の西の常夜灯を見に行く。再度横田橋まで引き返して野洲川を渡る。 横田橋
横田の渡し跡 東の常夜灯 横田の渡し跡の東側の公園で少し休憩。こちら側には非常に大きな常夜灯が立っている。高さは10.5m。道中でも最大級のものと説明に書いてある。野洲川なんて小さな川だと思っていたが、やはり渡しが必要だったんだなあ。 野洲川
泉の一里塚 すぐ近くに一里塚もあり、当時のものはもっと野洲川寄りにあったものをモニュメントとして整備されたと書いてある。一里塚の上には榎などが植えてあったそうだ。この裏手に六地蔵があった。 一里塚裏の六地蔵
また大きな道標 渡し場と水口宿の間にまた大きな道標がある。古い屋並みの街道や農地が交互に顔を見せる。 水口の街道
鐘を撞く見張り番 柏木公民館前に鐘を突こうと梯子を上っている男の像があり、水口宿が近いことを感じさせてくれる。相変わらず古い民家のまじる街道が続く。 街道
一里塚 北脇縄手、西見附跡を過ぎたところに一里塚がある。林口の一里塚か? この横に水口宿の大きな案内図があり、これ見るとまだ水口宿に入ったばかりのところだ。 水口宿案内図
百間長屋跡 間もなく右手に百間長屋跡がある。これは下級武士たちの長屋で郭内に玄関があり、北側に出入り口はなく、郭内の城、藩邸を防御する役割を果たしたそうである。次の曲がり角に水口石があり、力石とも呼ばれて江戸時代からここにあるそうだ。 水口石
古い民家 力石を左に折れると右手に古い民家があり、さらにに右へ曲がって次の辻がゴールだったが、ここから南へ少し下がって藤栄神社のトイレに寄り近くのバス乗り場へ行く。 藤栄神社

年代順  ホームへ  
inserted by FC2 system